いじめ



車の運転中にふと思った。
何故かいじめについて。
いじめはいけない!とかいじめは最低だ!とかどうして聞くのかなぁと。
多分そんなことから広がったんだろうな。
私もそんな風に今まで考えてたけど、ちょっと変わった。


いじめが怖いのは、いじめてる側に人を傷つけているという自覚が無いことだと思う。


傷つけられた側はもちろん心に傷がつく。
だけど傷つけた側も心に傷がつく。


両方の痛みを知っている人は故意に人を傷つけようなんて思わない。
何のメリットも無いからね。
だからいじめを楽しんでる人っていうのは可哀想な事なんだって思う。
可哀想っていう意味わかる?
哀れに思う。同情する。
よく使われる言葉だけど「自分じゃなくてよかった。」って言ってるのと同じこと。
あんまり好きな言葉じゃないけどあえて今は使う。
故意でなくても不意に人を傷つけてしまうことはあるけれど、
それは仕方の無いこと。
だって人の心が読めない限りは何に傷つくか分からないから。
子どもの時からそうやって無意識に傷つけ傷つけられて両方の痛みを知って大人になる。
その痛みを知らないって事は心が子どもの証拠。


いじめは最低だとか許せないとか勿論そうだけど、
それ以前に幼稚な行為なんだなぁって初めて思った。
だから、思いやり溢れる人はカッコイイんやね。
両方の痛みを知ったうえでの優しさだから。
なるならやっぱりそういう人間になりたいなぁ。


2008/03/9





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